悩みの原因や解決方法

いじめとは何か?大人、会社、学校など、いじめの本当の原因

[「いじめ」の原因と解決法「家族の問題(機能不全家族)」の原因と治し方「仕事(職場)」での悩みの原因と治し方「モラルハラスメント」の原因と解決法悩みの原因や解決方法]


 
 いじめは長年マスコミなどを通じて見聞きしているために身近な問題でありながら、誤解されやすいテーマです。なぜなら、そのメカニズムは私たちが素朴に考えているものとは異なるからです。
 学校など子どもについて問題になりがちですが、実は、大人も職場や地域で直面する問題です。
いじめについて知ることは、私たち人間が暗黙のルールとしていることや、生きづらさの原因を知る上でもとても役に立ちます。
 今回はいじめについてまとめてみました。よろしければ、ご覧ください。

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いじめ

 

 

 

いじめが問題化されてきた歴史

 例えば、戦時中に上官からいじめを受けた経験を語る方がいるように、いじめ自体は大昔から存在するものです。しかし、いわゆる学校などでの「いじめ」が問題視される歴史は意外に浅く、本格的には1980年代からになります。これは日本だけではなく、海外でも同じころに問題になるようになりました。北欧、ノルウェーが最も早く、次いで日本、アメリカ、イギリスなどと問題化されるようになっていきました。海外では校内暴力としてとらえる傾向があるのに対して、日本では校内暴力とは異なる事象としてとらえる傾向があるとされます。

 

<第一次ピーク>

 いじめの問題の第一次ピークとされるのは、80年代~90年代初頭までで「いじめの発見期」と位置づけられる時期です。社会問題となって様々な対策が取られた結果、85年をピークにいじめの件数は統計上は減ったかのように見えました。 

 

 

<第二次ピーク>

 しかし、94年に起きた大河内清輝君事件は社会に衝撃を与え、再びいじめがクローズアップされます。このころから、不登校も問題にされるようになったこともあり、いじめの被害者の心のケアをおこなうために学校にスクールカウンセラーが導入されるようになる。後に(2000年代に)、本来、社会、教育の問題として論じられるべき問題が、「心」の問題とされることについて「心理主義」と批判されるようになりました。

 

 

<第三次ピーク>

 第三のピークとされるのは2000年代後半からです。再び相次いで発生したいじめ事件によって、それまでの様々な取り組みが功を奏していないことが明らかになると、再び議論が活性化しました。学校の中で対処したり、生徒個々人の心の問題とするのではなく、社会の問題として取り組む必要が指摘されるようになりました。

 

 

〇解明され始めたいじめのメカニズムと大人社会でのハラスメントの存在

 注目されるのは、第二の波と第三の波とされるちょうど間の時期に、社会学者の内藤朝雄氏による「いじめの社会理論」によって、いじめが起こる心理・社会的なプロセスのモデルが示されました。※第一次ピークの際にも森田洋司、清水賢二氏によって、いじめが成立する際の状況は被害者、加害者、観衆、傍観者からなるとする「いじめの四層構造」論がありました。最近では、「スクールカースト」という概念によって、学校という共同体の中ではいじめとそうではない状態が明確に区別されるわけではなく、カーストのような序列が生まれることが明らかになっています。 
 さらに、同じ時期に大人の世界でも「モラルハラスメント」という言葉が登場し、職場でのいじめ、労働者をやりがいなどを煽り巧みに搾取するブラック企業の存在が明るみにされています。社会の風潮も急速に変化し、人間や共同体に深く潜むいじめ(ハラスメント)の要因に光が当てられるようになりました。

 個人の問題のせいにされがちな人間同士の関係の実態を知る上で、いじめのメカニズムはとても参考になります。 

 (参考)「あなたの苦しみはモラハラのせいかも?<ハラスメント>とは何か」
 

 

(参考)「いじめは日本において特徴的な問題」という誤解

 いじめは日本特有の問題であるとの誤解は根強いのではないかと思われます。しかし、実際は、いじめの発生件数を見ても、たとえば、イギリスでは、1年で6~7人の子どもがいじめを苦に自殺している、ノルウェーでは7人に1人がいじめにかかわっているなど、いじめ被害の数は多く、日本が特別に多いものではありません。むしろ、数字を見ると海外のほうが多いのではないかと感じられるほどです。
 「日本において特徴的な問題」ととらえる誤解は、いじめの原因を考えるうえでも大きな妨げとなってきました。日本固有の問題であるとすれば、日本社会の特殊要因に原因が求められてしまうからです。
 「島国の性向」「受験戦争」「詰め込み教育」、近年でしたら「ゆとり教育」「愛国心、道徳心のなさ」といった論調もそうです。専門家によって、これらはすべて誤りであるとされています。
 ただ、誤解の根強さは適切な理解を阻む要因となっています。

 

(参考)「いじめ」の定義

 文部科学省の定義では
 「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。
 としています。

 

いじめ2

 

 

 

いじめのメカニズム

 ここでは、社会学者の内藤朝雄氏の理論をもとに、いじめ発生のメカニズムを解説しています。

 

・無条件の自己肯定感覚の世界

 私たちは、愛着などに支えられて、無条件の自己価値感情、自己肯定感覚を持ち合わせています。そうした健全な感覚に基づき、世界を体験し、人と付き合い、社会とかかわっていきます(内藤氏は「α-体験構造」と呼ぶ)。無条件の自己肯定感覚は免疫機能として作用して、少々の否定的な経験はやり過ごすことができます。

 


・学校共同体の過度な密着強制による自己肯定感覚の揺らぎ、崩壊~内的モードの変化

 しかし、あまりにも否定的な体験が積み重なりすぎると自己肯定感覚は揺らぎ、最終的には崩壊していきます。
否定的な体験の例としては、虐待や迫害、過度な密着の強制です。ここで注目したいのは、学校という共同体自体が、過度の密着を強制する装置となっていることです。
 その結果、リアリティを感じられなくなり、精神的な欠如を生じさせ、それらを解消するために、「全能欲求」を生み出します。ここで内的モードが完全に切り替わります(「β-体験構造」)。

 内的なモードが変わったことを示す言葉が「むかつく」という言葉です。明確な対象はないけれども、漠然とした内的な不全感を示す表現です。

 

 (参考)「寄生虫(群生秩序)」によって乗っ取られて、モードが切り替わる

 内藤朝雄氏が書籍の中で紹介している例ですが、カタツムリやミツバチなどが寄生虫に寄生されると、本来寄生される側の個体が有しない行動を採るようになります。さながら、寄生虫が乗り物として乗っ取り先の生物をコンロトールするように。人間の場合は、社会的な動物として、規範、秩序を内面化しています。学校、会社、家族、地域などの凝集性の高い共同体の秩序は、市民社会の常識から見ればおかしなものでも、内面化すると自分ではどうしようもないままに乗っ取られて、その通りの行動するようになってしまうのです。NHKスペシャルのいじめ加害者のインタビューでも、「何かそれ、うつっちゃうんです」と周囲のいじめが寄生虫さながらうつっていじめをしてしまう様子が証言されています。

 

 


・全能欲求による“癒し”としてのいじめ

 全能欲求とは、不全感を癒やすために自らが全能者として人やモノや事柄をコントロールしたいという欲求です。全能欲求を果たすための方法としては、いじめ以外にも他者コントロール、暴力、薬物、アルコール、摂食、仕事、恋愛、買い物、自傷、自殺などあらゆるものが用いられます。

 

・他者をコントロールによる全能欲求

 不全感を癒やすための方途として他者コントロールという全能がありますが、具体的には、
 ・世話をする
 ・教育する
 ・ケアする
 ・修復する
 ・和解させる
 ・蘇生させる
 ・いじめる
 といったことです。
 
 他者を教育したい、世話をしたいという極端な情熱は、共依存や自己愛性障害、強迫性パーソナリティ障害などでもみられますが、こうしたことの背景には、不全感と全能欲求が潜んでいます。


 家庭や会社でも、他者の至らぬ点を挙げて、相手を変えよう、教育しよう、しつけようとする人は、相手が自分の思い通りであるうちはそれが満たされますが、相手が思い通りにならないと、「お前のせいで私の世界が崩れた。だから、お前を台無しにしてやる」として激怒したりします(全能はずされ憤怒)。
  
 こうした他者をコントロールによる全能欲求の中にはいじめも連続して含まれており、他者を教育したいケアしたいという欲求といじめとは、実は同根の欲求です。

 


・いじめによる全能のタイプ(要素)

 いじめによる全能には、
 大きくは3つのタイプ(要素)があります。


  ・「主人-奴婢」

    被害者を思い通りに使役する筋書き。被害者が肉体的、精神的に損耗することが条件

  ・「破壊神-崩れ落ちる生贄」
    圧倒的な力で被害者を一気に破壊するパワーを楽しむ筋書き

  ・「遊ぶ神-玩具」
    通常ではありえないやり方で戯れるように相手の世界を壊す筋書き
  
 3つは複合して1つのストーリーを生み出すことがあります。
 共通するのは「神化する」ということです。

 大人のいじめの場合は3つの要素の上に、大人としてもっともらしい言い訳でコーティングされます。
 「相手のためを思って・・」「あいつが仕事ができないから」「気が利かないから」といったことです。
 無理な仕事や課題を押し付けて、相手が損耗することで全能欲求を満たしたり、被害者の仕事を台無しにしたり、といったことが行われます。また、被害者が完全にコントロール下に置くために、相手をしつけようとします。

 


・投影自己同一化といじめの連鎖

 投影とは、自分の内的体験の一部を他者に覆いかぶせて自分そのものであるとすることです。
 自分では処理できない不全感を他者にかぶせて、かぶせた他者を思い通りにコントローすることで、その不全感を癒すのです。癒された自己の一部は再び戻ってきて、一時の癒しが得られます。
 
 さながら、被害者という<容れ物>に自分の惨めな過去(トラウマ)を内容物として投影して、そこで自らは神(加害者)と同一化して、被害者をコントールすることで、みじめな過去を書き換え処理しようとします。

 被害者の側は、まさに相手に取りつかれるように支配され、同一視されます。
 
 被害者を見てイライラする、というのは、まさに過去の自分を見てイライラするのと同様の作用です。相手を痛めつけて、時に相手を教え諭して、イライラを解消しようとします。

 人によってイライラさせられる人、させられない人がいますが、実際に相手に非がある、非がないは関係がありません。イライラさせられる相手とは自らが投影する容れ物としてマッチしているかどうかを示しているといえます。


 投影自己同一化によって被害者が、未来の加害者となって連鎖していくメカニズムが説明できます。 

 

(参考)「支配(支配者)」とは?

 カウンセラーの大嶋信頼氏によって明らかになっている概念として「支配者」というタイプの存在があります。投影自己同一化では自らの不全感の癒しとして相手をコントロールしようとする欲求と説明されていますが、「支配者」という概念では不全感の有無とは関係なく、ある種のタイプの人は自らを神化させて相手をただ支配しようという欲求を持つとされます。支配のメカニズムは自己同一化と同じようになされます。

(参考)「3つの真実~「虚無」「支配者」「光の人」、私たちを分ける3つのタイプ」

 

いじめ3


・全能欲求の再生産~いじめの連鎖

 いじめによる癒しは、未熟な自己治療として行われているものですから、アルコールや薬物による依存と同様に、本質的な解決にはならず、またいじめを生み出す全能欲求は再生産されます。

 こうしたメカニズムは、無秩序の故ではなく、当事者が生きる秩序の中に埋め込まれていて、秩序を維持する必要からも再生産されます。

 いじめられた被害者も、その惨めさを解消するために、自らがいじめを経てタフになったというストーリーを経て、タフさのない情けない他者をいじめの標的とするようになります。

 私たち人間が弱者を見てイライラするのはまさにこうしたメカニズムの故と言えます。
 


 
・合理的な計算

 いじめは、無条件の自己肯定感覚の崩壊によって引き起こされた欠如を癒すための全能欲求による行為です。構造としては依存症のメカニズムと酷似しています。しかし、一つだけ異なるのは、合理的な計算が並行してあることです。
 警察が介入した場合や、自身の地位が下がるなど自らが不利になる場合はいじめは行われなくなります。また、いじめの仕方についても巧みに計算されていたりします。(「利害-全能マッチング」)。
 合理的な計算が働く背景には、加害者が狡猾であるという個人のパーソナリティに起因するのではなく、いじめがまさに共同体秩序によって引き起こされるものであるということがあります。つまり、頭のおかしな異常な状態ではなく、ある意味「まともで」「属する秩序が要請するものとして」行っているということです。

 ※精神科医の中井久夫も「子どもにおけるいじめの政治学はなかなか精巧であって、子どもが政治的存在であるという面を持つことを教えてくれる。」「いじめはなぜわかりにくいか。それは、ある一定の順序をもって進行するからであり、この順序が実に政治的に巧妙なのである」としています。

 

・被害者に感情があることがわかるからこそのいじめ

 いじめの対象にも喜びや悲しみといった感情があり、世界があることを加害者は知っているからこそ、その存在をまるごと思い通りにして抹殺しようとしています。
 
 そのため、よくあるいじめ防止の取り組みとして提唱されるような相手の痛みがわかるようになる教育、相手の立場が分かるようになる教育、といったことは全く方向違いであるといえます。

 


・「すなお」になる被害者

 全能欲求のストーリーに合わせて、加害者が求めるように被害者は一挙手一投足が打てば響くように自在に変化することが求められます。その状態を「すなお」といいます。単に頭で意識して行動するレベルを超えて、いじめを生む群生秩序の共同体の空気に完全になりきることです。「すなお」にするために加えられる行為が「しつけ」です。
 大人の社会でも、夫が妻を「素直さがない」といってハラスメントを行ったり、会社の経営者が従業員が「素直」であることを称揚していることはまさに家庭や会社が群生秩序の共同体であり、そこではいじめ(ハラスメント)がもっともらしい理屈でコーティングされ、行われていることを示しています。

 


・いじめは秩序的、共同体的な行為

 いじめについての議論でよく見られる誤解は、「秩序の解体(無秩序)」「規範意識の欠如」「幼さ」といったことがあります。逆に、「秩序の加重さ」「濃密すぎる人間関係」「狡猾さ」ととらえる論者もいます。

 実はこれらは、すべて整合されます。
 
 秩序とは単一ではなく、現場では複数のローカルな秩序がせめぎあっています。これを「群生秩序」と内藤氏は呼んでいます。反対に、人権などの普遍的な理念に基づくものが「市民社会の秩序」です。
 「群生秩序」とは、そこでの善し悪しが「みんなの気持ち」で情動的に決まってしまう秩序のことです。言い換えれば、その場の「ノリ」が決定する秩序です。ノリを壊すものは、大罪を犯すものとして徹底的にいじめられるようになります。
 ノリというと子どもじみて感じられますが、凝集性の高い職場(例えば病院や会社など)では、大人でも当たり前にノリで秩序が決まり、それに従い、同じように動かない同僚を「むかつき」、理由をつけて攻撃しています。ただ、大人の場合は、子どもと違い、より「もっともらしい」理由で攻撃するかどうかの違いだけです。
 群生秩序から見れば、市民社会の秩序である「人権」や「生命倫理」は、秩序を脅かすものでしかなく、大人たちが人権を持ち出して、「お前たちは人として大切なものがわかっていない」と叱っても、「あなたのほうがわかっていない」「なにもわからないくせに」とただ反発されてしまいます。実際に、いじめを行っていた生徒たちの多くがそのように証言しています。子どもたちは、無秩序でも、倫理がわからないわけでもなく、むしろ彼、彼女らが属する秩序の倫理に従っている点で「倫理的」「秩序的」であり、共同体の成員として「模範的」であるのです。
 
 この意味においては、いじめを「悪魔の行為」と言って罰してみても、話が通じません。社会的な存在として模範的に行動した結果であり、当事者にとっては悪でも何でもありません。

 子どものいじめ報道に眉をしかめる大人も、職場では「仕事ができない人」をさげすみ、罰している行為は、実は子どものいじめと何ら変わらないのです。
 

 

・身分秩序~スクールカースト、職場での「できる社員-できない社員」、“出来損ないの”妻、夫、子ども

 群生秩序の中では、ノリの中で生まれる基準をもとに身分がうまれる。こうした秩序は、学校内では特にスクールカーストと呼ばれます。「コミュニケーション能力」や「リーダーシップ」などで序列され、当事者とっては「イケてるーイケてない」といった言葉で表現される序列である。身分の上下によって、ふるまい方にも制限が加えられる。例えば、身分が下の生徒が調子に乗ったりすれば、厳しく制せられる。笑顔でいるだけでも、調子に乗っていると、むかつきを覚えられることになる。

 これらは当事者にとっては容易に変えられ無いもののように見えますが、実は社会構成主義的(そこにいる人たちの意識)に作られてモノであり、実態のあるものではありません。
 事実、いじめを受けた子が転校した先では普通に生活できたり、それまでいじめられていなかった子がいじめられるようになることがあります。
 大人の世界、仕事でも同様です。プロスポーツの世界でも、チームが変わるだけで、監督が代わるだけで活躍できなくなる、できるようになる選手はたくさんいます。人間とは想像以上に環境に左右される存在であることがわかります。
 一般の職場でも、成果主義が破たんしたように、客観的に仕事ができるかどうかを決めることはとても難しいことです。営業成績で無理に線を引けば、ある意味明確になったように見えますが、実はノリで決めたある基準で単純化しただけにすぎません。ある会社で「できない社員」とされている原因が、その会社という共同体のノリで決めた基準が呪縛となって、動けなくなっているためであることもしばしばです。実際、長年勤務経験のある方であればわかりますが職場の評価とはその時の空気で容易に変動することがわかります。役員、管理職の好みで基準は大きく変わるあいまいなものなのです。
 社員にも役職以外にも、そうした身分(「できる社員-できない社員」)があります。そして、凝集性の高い職場では、できない社員が笑顔を見せると、「そんなことしている暇あるの」「そんな調子に乗ってていいの」と、あたかもカーストの下位身分のようにとがめられるようになります。

 家庭でも同様です。「気が利かない妻(夫)」「悪い子」と配偶者や親から決めつけられて家庭内の秩序の下層に位置づけられてしまっていることがあります。決めつけられると決めつけられて通りになるのが社会的な生き物としての人間の性質でもあります。

 

 

・中間集団全体主義

 「中間集団全体主義」とは、簡単に言えば、国のような大きなものではなく、地域、学校、会社、家族などの中間集団の特定の絆を強制されること、また、絆と個人の利害が対立したら絆を優先せよと強制されることです。「中間集団ファシズム」と呼ぶ人もいます。全体主義とは、秩序が揺らいでいる中で、造られた単一の人工的な理念や秩序を全体に覆いかぶせて、それに従うことが正しいとすることです。全体主義の前では国家や市民社会もその下位に位置づけられます。
 
 本来、人間のスタイルは多様であり、あり方も多元的です。社会への参加の仕方、つながり方、絆も多元的です。多元的であるはずの私たちに対して、「これこそが最高善」として特定のスタイルを押し付けてしまうことはどのようなものであってもそれは全体主義的(ハラスメント的)となります。
 
 実は、カリスマとなるような経営者やセラピスト、あるいは家庭の中で父親、母親、妻、夫などが、「これこそがあるべき人間のありかただ」と打ち出して、それに従うのも実は全体主義なのです。
 秩序が乱れた状態の時、人間であれば悩みにある時に、そうした指針が示されると熱狂的に支持されることがあります。当事者も充実を感じることがあります。かつてのナチスドイツなどで、党員や市民がイデオロギーを獲得して生き生きしている記録映画がありますが、まさにあのような状態です。しかし、全体が成長している時はまだ良いのですが、しばらくするともともと持っている多元的な性質は抑えられるものではないため、全体の秩序は抑圧的となります。

 

・全体主義の中の「スター」「模範生」

 中間集団には、かならず「模範生」「スター社員」「優等生」がいます。その模範生の存在が周囲のメンバーをさらに苦しめることになります。模範生がいるということは、システムではなく、自分に問題があるとみなされてしまうからです。

 学校(職場、家庭など)はまさに、その中間集団の代表格のような存在です。過密な空間と時間に生徒を押し込めて共同体を押し付けることが、いじめを生む背景にあると専門家により指摘されています。

 


・共同体の中のメンバー(先生や親、上司、同僚など)は仲裁者となりえない。

 いじめとは、共同体の秩序そのものがもたらす現象です。一般に考えられるように秩序の乱れやハプニングによるものではありません。
 たとえば、いじめが発生した際に警察などに告発した被害者側が、学校の保護者達や先生からバッシングに遭ったり、「学校を守れ」と生徒や保護者達が学校や先生を擁護する署名活動をしたり、といったことがしばしば起こります。あるいは、先生たちがいじめがあったことを認めない、被害者への対応が悪いことも珍しくありません。これらも一見すると、異常な考えを持つ先生や保護者たちが責任を取らされることを恐れて被害者をさらに追い詰めている、といったように見えます。実際は、異常なのではなくて、先生たちや保護者も学校という共同体の秩序に対して「正常に」従順なために起こる現象です。

 そのため、共同体の秩序が生む問題に対しては共同体に深くコミット(関与)しているメンバーは仲裁者にはなりえないということです。学校以外でも、会社、家族内で起きるハラスメントに対して、上司や親に訴えても、訴えた側が悪く言われたり、まったく取り合ってもらえない、軽くしか扱ってもらえないのはこうしたことが原因です。

 


・まとめ:内藤朝雄氏の「いじめの社会理論」と従来のいじめ原因論との違い

 内藤朝雄氏の「いじめの社会理論」と従来のいじめ原因論との違いをまとめると下記のようになります。

 

(従来のいじめ原因論)

 ・いじめをハプニングや事故として扱っている。
 ・いじめと通常の学校の秩序とが非連続であるとしている。
 ・いじめを「子どもたちが命の尊さがわからない」などと人間としての未熟さや心の問題として扱っている。
 ・いじめを秩序の乱れ、あるいは秩序の過重として扱っている。
 ・いじめを日本に特殊なものとしている。
 ・いじめを自身が問題と信じることを投影して論じようとしている。
 ・特定のケースにのみ有効である。
 など、簡単に言えば、問題の構造を捉えていないということがあります。

 

 

(内藤氏のいじめの社会理論)

 ・いじめを心理、社会的な構造でとらえている。
 ・いじめを日本社会の問題に還元してとらえていない。
 ・いじめと通常の学校の秩序とを連続したものととらえている。
 ・いじめをメンバーが属する共同体秩序が生む問題ととらえている。
 ・これまで一貫した説明が難しかった、メンバーの振る舞いや様々なケースについても説明力がある。
 など
 
 

いじめ4

 

 

 

いじめを解決するために必要なこと


・特定の共同体やつながりを強制しない枠組みつくり

 上記にも書きましたが、秩序が揺らいでいる中で、造られた単一の人工的な理念や秩序を全体に覆いかぶせて、それに従うことが正しいとすることを「全体主義」と言います。

 現代においては、残念ながら、「家族」「友だち」「夫婦」「性別」「学校」「会社」「地域」そして「愛着」「絆」などがまさにその全体主義に該当するような作用を及ぼしてしまっています。

 それぞれは、私たちにとってはなくてはならないものです。ただ、人によってあり方は様々ですし、時代によっても急速に変化します。その多様性や時代性を考慮せず、頭の中でこしらえた「こうあるべき」「こうであるにちがいない」という幻想を他者に強制するようになると、たちまち「全体主義的(ハラスメント的)」なものとなってしまいます。
 たとえば、「ナチズム」「ファシズム」などは危険なものだということは誰でもわかりますが、「家族」「友だち」「学校」というと、表面で語られる家族愛、友情、教育愛などに惑わされて、その問題点はなかなか感じ取ることはできなくなってしまいます。

 

 ではどうすればいいのか?、
 一つには、社会学では「ゲマインシャフト(共同体組織)」と「ゲゼルシャフト(機能体組織)」という分け方が参考になります。上記で上げた項目の多くは「ゲマインシャフト(共同体組織)」に分類される項目です。※会社などは西洋では、「ゲゼルシャフト(機能体組織)」ですが、日本では会社共同体として凝集性の高い性質があります。
 「家族」「友だち」「夫婦」「性別」「学校」「会社」「地域」「愛着」「絆」なども、そこで語られる共同体的なつながりを当たり前のことととらえずに、機能としてとらえなおすということです。そして、その機能が満たされていなければ、そこからは離れて機能を満たす新たなつながりをつくることを躊躇しない、そして社会もそのことを承認して後押しするということを当たり前とすることです。

 例えば、「学校」の機能とは、本来、「産業的身体の育成(将来、社会に出て働けるような知識や規範を身に付けること)」です。子どもも10人いれば10人ともあり方が異なります。最近では、非定型発達という考えが提唱されるようになっているように、想像以上に人間は異質なもので、単一の秩序、規範では収まることはできません。
 社会学者など専門家の多くも、従来のように学校共同体を基本単位としては捉えずにクラス制度を解体して、大学のように科目ごとに選択して受講したりする必要や多様な教育機会の拡充が唱えられています。


 
 それでは集団生活での所作が身に付かないではないか、いじめというマイナス要素があってもそれに耐えることで社会で生き抜く力が身に付くという反論も予想されます。しかし、科目単位でも、集団での活動や作業は当然ながら発生します。さらに、集団規範が、場面ごとに構成するメンバーによって異なる、自分の役割や位置づけも変化する、ということを経験することはとても重要です。環境に合わせて変化を対応すること、相対化する視点を身に着けられることは社会で生き抜くうえで必須です。集団生活での所作とは、「適応」と同時に「抵抗(離脱したり、相対化したりする方法)」も身につけなければ完成とは言えないのです。

 

 「家族」「夫婦」等も同様で、当たり前のものとせずに、例えば、「安心安全な環境の提供」「社会で生きていくための導きや支え」といった“機能”が満たされていないならば、その家族には問題があり、その環境からは離れる、あるいは専門家のサポートが必要となります。

 「会社」「地域」「友だち」「夫婦」等も同様です。表面的な言説に幻惑されず、「機能体」としてとらえることで、その本質(エートス)が見えてきます。

 

 


・多様なつながりを大切にする~絆ユニット

 依存症の研究などでも示されている定義ですが、人間はさまざまなものに依存しながら生きています(健全な依存)。しかし、限られたものにしか依存できなくなると、そこから離れることは死を意味するため、過度なしがみつきが生まれます(病的な依存)。これが依存症のメカニズムとされるものです。
 
 学校や会社でも、「それしかない」「そこからの脱落したら、もう他ではやっていけない」というように追い込まれると、群生秩序を生み、人間は容易に不全感に陥ってしまいます。会社の不祥事や追い込まれての自殺など、「なぜ、そんなおかしなことが起きるのか」ということはまさにこうしたことを背景にしています。
 
 いじめについても、いじめる側がなぜ全能欲求によってその場をコントロールしたくなるのかと言えば、「依存する場が学校しかない」からです。専門家も指摘するように、例えば、予備校や自動車教習所でいじめはおこりません。なぜなら、所属する場所はほかにもあるからです。

 震災後も「絆」ということを強調することに称賛と同時に懸念も示されました。それは、多様であるはずのきずなを、社会がノリで決めた「こうあるべき」という単一のありかたを全体に覆いかぶせることへの懸念です。

 絆は一つではありません。多種多様なものであり、様々なものとの接続と離脱をくりかえりながら人間は生きていきます。最近では「愛着」という概念がブームとなっていますが、それが絶対視され「それしかない」となった瞬間に全体主義的(ハラスメント的)となり、私たちを苦しめます(実際、「愛着」とは多様な人間のきずなの一つにすぎません)。

 社会学者の内藤朝雄氏はこうした多様なつながりを「絆ユニット」と呼んでいます。

 

 


・暴力など違法な振る舞いには法的な措置を

 暴力など違法な振る舞いには、法的な措置を採ることを躊躇する必要はありません。
特にこれまで学校や家庭、職場について、出席停止や警察を介入させることについてはルール違反とするような空気がありました。しかし、いじめは、合理的な計算も同時に働いているために、警察沙汰になると割が合わないとなれば途端に収まることがわかっています。
 
 また、ブラック企業やモラルハラスメント、パワーハラスメントなどこれまではなかなかわかりにくかった問題についても、社会で問題視されることで、問題の基準や規制が生まれて、再発防止につながります。

 

 


・コミュニケーションによるいじめへの対処法は

 コミュニケーションを操作したり、無視したり、といった微妙な問題を当事者が現場で対処することは容易ではありません。中長期的には、上にも書きましたように、特定の秩序を強制しないような仕組みづくりが必要になります。私たちも、本当の絆とは何か?多様性とは何か?といったことへの理解が広まることも大切です。

 短期的には、いじめ(ハラスメント)があまりにもひどい場合は、学校であれば親、教師、会社であれば人事、労組、外部の相談窓口などの適切な機関に相談することです。その際は普段から細かな記録を取っておくことは大切です。もちろん、相談相手自体が秩序に巻き込まれているため、適切な対処が期待できない場合もたくさんあります。セカンドハラスメントと言いますが、訴えた側が悪いとされることもあります。そのため、最終的には、環境を変える必要も覚悟する必要があります(本来は、出ていくべきは加害者であることは言うまでもありませんが)。ただ、環境を変えることは「逃げ」「弱さ」ではないということです。私たち人間は本来、適切な環境を選択しながら、自己を形成していくものだからです。従来信じられてきたように、進路が単線で自分に合わなくても我慢して歩いていかなければならないといった考えは本来の在り方ではありません。いじめのある環境からは躊躇なく離れることです。

 

 

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(参考)

森口朗「いじめの構造」
土井隆義「友だち地獄 「空気を読む」世代のサバイバル」
土井隆義「つながりを煽られる子どもたち」
土井隆義「キャラ化する子どもたち」
菅野 仁「教育幻想」
菅野 仁「友だち幻想」
宮台真司他「学校が自由になる日」
森田洋司「いじめとは何か 教室の問題、社会の問題」
菅野盾樹「いじめ 学級の人間学」
内藤朝雄「<いじめ学>の時代」
内藤朝雄「いじめの社会理論 その生態学的秩序の生成と解体」
内藤朝雄「いじめの構造」
内藤朝雄「いじめと現代社会」

内藤朝雄「いじめの直し方」

鈴木 翔「教室内(スクール)カースト」

金子 雅臣「職場いじめ―あなたの上司はなぜキレる 」

中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』

 

 

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