近年、大きく変わり始めて腰痛への治療。かつては「脊椎の障害」として診断されていたものが、エビデンスに基づく医学の進展も背景に、心理、社会的な要因が大きく影響する症状として捉えなおされています。前回につづき、医師の監修のもと公認心理師が、専門書をもとに腰痛についてまとめてみました。
<作成日2019.9.25/更新日2023.2.6>
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この記事の執筆者みき いちたろう 心理カウンセラー(公認心理師) 大阪大学卒 大阪大学大学院修了 日本心理学会会員 など シンクタンクの調査研究ディレクターを経て、約20年にわたりカウンセリング、心理臨床にたずさわっています。 プロフィールの詳細はこちら |
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この記事の医療監修飯島 慶郎 医師(心療内科、など) 心療内科のみならず、臨床心理士、漢方医、総合診療医でもあり、各分野に精通。特に不定愁訴、自律神経失調症治療を専門としています。プロフィールの詳細はこちら |
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管見の限り専門の書籍や客観的なデータを参考に記述しています。
可能な限り最新の知見の更新に努めています。
もくじ
・変化する腰痛概念~「脊椎の障害」から「生物・心理・社会的疼痛症候群」へ
・痛みの感じ方は社会的、心理的に要素で変わる
・脳がもたらす幻の痛み(腰痛)を作り出すメカニズム
・診断名には惑わされない
・慢性腰痛を克服するために必要なこと
(上)にもどる
変化する腰痛概念~「脊椎の障害」から「生物・心理・社会的疼痛症候群」へ
かつては、「脊椎の障害(解剖学的損傷)」とされてきましたが、明確な証拠がないことや、安静にではなく運動や心理的なケアによって回復率が向上することから、「生物・心理・社会的疼痛症候群」として捉えられるように変化しています。
・脳内にあるDLPFC(背外前頭前野)の機能低下
NHK特集「腰痛革命」でも紹介されて話題となりましたが、スイスのチューリッヒ大学の研究では、腰痛の3分の2は精神的なストレスによるものとしています。
カナダのマギル大学の2011年の研究では、痛みの原因は、脳内にあるDLPFC(背外前頭前野)と呼ばれる部位の活動の低下によって、痛みをおさえることができなくなり、脳内で幻の痛みが持続してしまうことによるとしています。実際に、日本での研究でも慢性腰痛にある人とない人とで比べると慢性腰痛のある人のほうが痛みに敏感であることがわかっています。(慢性腰痛があると、灰白質の体積が減少したり、痛みを緩和させる機能を持つ側坐核の機能が低下していることも明らかになっています。)
・海外では国家レベルで「心理的な痛み」という啓蒙が進んでいる
オーストラリアでは、国家レベルで医療費削減を目指してTV‐CMによる「腰痛に屈するな」キャンペーンが90年代後半に行われ、大きな成果を上げたとされます。そこでのメッセージも腰痛は脊椎の障害ではなく、心理的な痛みであるために、恐れずに運動をしようと呼びかけるものです。多くのケースではその映像を見ただけで痛みが治まっていったのです。
オーストラリアだけではなく、スコットランド、ノルウェー、カナダにおいても同じようなキャンペーンが行われ同様の成果を上げているとされます。
・以前から研究者により指摘されていた
実は、スイスのチューリッヒ大学の研究は今から20年前、オーストラリア政府のキャンペーンも同様に20年も前のものです。そうした取り組みの以前からニューヨーク大学のジョン・E・サーノ教授などが心理・社会的要因によるものと指摘していました。
ようやくさまざまな研究によって裏付けられ、いわゆる腰痛(明らかに事故や腫瘍などが原因ではない)は「生物・心理・社会的疼痛症候群」とされるようになりました。
※腰痛をストレスなどの社会・心理的な要因も考慮するようにガイドラインなどは求めていますが、これは心理主義のように心理的な要因にすべてを還元するようなことを意味するものではありません。これまではあまりに「生物」的要素のみで腰痛を捉えて十分な成果が上がらないことへの反省として、全体を捉えるようにということを意味します。
痛みの感じ方は社会的、心理的に要素で変わる
・痛みは、脳の錯覚や回避により強まる
痛みというのは実は客観的に存在するものではありません。客観的とはいつでも誰にでも同じ程度で感じられるもの、という意味です。人(の認知)や状況によって感じ方は全く変わります。例えば、痛みを11段階に分けて評価して、1まで下がった人でも、それでよしとする人はそのまま0へと落ち着いていきますが、1の痛みにこだわる人は、その後3,4と痛みは徐々に増していくことがわかっています。
痛みを感じるのは脳です。身体の部位はあくまで末端で痛みを伝えるセンサーの役割をはたしているものです。そのため脳が錯覚したり、コンディションが異なると、痛みの感じ方は全く異なります。
実際に、戦場での痛みの感じ方と日常での痛みの感じ方を比較するとその結果は大きく異なるという実験結果があります。状況によっても大きく左右されることがわかっています。
しかし、身体の問題というは物理的で客観的なものだ、という意識があるため、痛みを感じる状況についてなかなか認知を変えることはできません。そのために痛みを恐れて回避することを繰り返して、痛みに弱い脳のコンディションが作られて慢性腰痛を生み出してしまうと考えられています。
・痛がったり、安静にしたりしてはいけない
「痛み行動」といいますが、「イタタッ」と痛がったり顔をしかめたり、患部をおさえたり、姿勢や歩き方を不自由にしたり、といった行動はむしろ痛みを強くしてしまいます。痛み行動をとると、脳がそれに見合う痛みを受けていると錯覚してしまうためだと考えられています。さらに、痛みを感じていることを周囲が気遣うと、学習効果によって強化・維持されていきます。
「痛み行動」には、通院や服薬も含まれます。慢性腰痛の場合は、病院に漫然と通い続けること自体が痛みを強化しているケースもあるのです。
「痛み行動」の中で最も多いものの一つは安静です。腰痛治療のガイドラインでも、「安静は必ずしも有効な治療法とはいえない。」「急性の痛みがあっても、なるべく普段の活動性を維持することは、より早い痛みの改善につながり、休業期間の短縮とその後の再発減少にも効果的である。」「休業する期間が長ければ長いほど、職場復帰の可能性は低くなる」としています。
海外のガイドラインでも、安静することは有効ではない、とするとされています。つまり、安静にすることで、痛みの回避や恐怖心の増幅につながり、より痛みが慢性化するおそれがあるということです。
急性、慢性ともに腰痛の際は、重篤な疾患やあきらかな外傷がなければ、安静にせず、無理のない範囲で活動を続けることがより早く痛みを鎮めることにつながります。
脳がもたらす幻の痛み(腰痛)を作り出すメカニズム~ドーパミンシステムの機能低下
1.炎症やストレスなど何らかの要因によって腰に痛みが生じます
2.脳に伝わり、神経細胞が興奮する
3.DLPFC(痛みをコントロールする脳の部位)が神経細胞の興奮をしずめる
4.痛みを回避しようとする恐怖心を持ち続ける
5.DLPFCが恐怖心をおさえようとして活動を続けて、次第にDLPFCの機能が衰えはじめる
6.DLPFCが衰えて神経細胞の興奮をおさえられず、脳の神経細胞が興奮をし続けて、幻の痛みが持続する
最初の痛みを実際の炎症と見る考え方もあれば、心身症としてストレスが引き起こしている、とする研究者もいます。
診断名には惑わされない
・根拠なくつけられる診断名も多い
「椎間板ヘルニア」「腰椎すべり症」といった名前を耳にしたことがあるかと思います。
しかし、実はこれらは、医師が現場で便宜的につけたもので、腰痛の診断名としては根拠のないものであることが多いとされます。それどころか、本来外科的な医療の対象ではないものまで医療の対象としてしまっているのでは、という懸念が指摘されています。
腰痛に関する知見をまとめた『菊地臣一「腰痛 :第2版」(医学書院)』の中でも、下記のように記されています。
「腰痛の診断の多くは、病理学的な客観的概念に基づいているものではなく、臨床医の考え方を表しているものが多いというところである」「すなわち、便宜上つけられた診断名が、腰痛を医療の対象にしてしまっている可能性が危惧されている。」「診断名に対する科学的な根拠は不十分と言わざるを得ない。」「米国での腰痛の診療ガイドラインも、椎間関節症、変形性脊椎症、腰椎椎間板症、挫傷、などの疾患名は、症状との関連性については何ら科学的な根拠は提示されていないことを指摘している。」「日常診療上、椎間関節、椎間板に起因する疼痛を臨床的に正確に診断することは不可能である。」「不正確な分類、例えば「損傷」などが腰痛による活動障害を助長している可能性も指摘されている。」「椎間板や脊椎の損傷とか、椎間板の突出といった言葉が、患者に「病的な変化」とか「外傷」とかという印象を与え、無用な不安をかき立てている」「患者はそのような診断名が腰痛の原因であるとそのままうけとめてしまう」
英国の診療ガイドラインでは、
「腰痛患者には前向きな助言を与え、悲観的な説明を避けるように」としています。
つまり、念のために診断を受けることは必要ですが、そこで提示される診断名を真に受けることはできないようです。治療者の考え方によって科学的な根拠のない診断名が付くことがあったり、自らが提供している改善法の前提としての診断名をつけるということもあるようです。
・診断名は適切に受け止める
「腰痛症」「坐骨神経痛」「腰椎捻挫」「腰椎すべり症」というのは腰痛があるということ以外に何も示していませんし、「腰椎すべり症」、「椎間板ヘルニア」や「脊柱管狭窄症」についてもそれが腰痛の原因かどうかはわかりません。ヘルニアの9割は自然に回復するとされます。そうした診断名が下ったとしても、あくまで便宜的なものとして、適切な受け止め方が必要です。
結論から言えば、腫瘍などあきらかに重篤な疾患との関連が明らかにならなければ、検査で示される背骨のゆがみや椎間板の問題は、腰痛の原因ではないということです。非特異的腰痛の場合、下記にまとめるような、心理療法、運動療法、場合によっては薬物療法をまずは第一選択とすることが適切です。
慢性腰痛を克服するために必要なこと~脳の機能のリハビリテーションを行う
慢性腰痛は、現在のところ、痛みをおさえる脳の機能の失調という説が有力視されています。オーストラリアやイギリス、カナダなどでも成果を上げて注目されていますが、近年、原因不明の腰痛に対して最も効果を上げて注目されている方法は、心理療法(認知行動療法)による治療です。“心理”療法と言いますが、心というよりも“脳のリハビリテーション”ととらえたほうが適切です。
腰痛に対する心理療法の内容は、以下の3点です。
1.腰痛に関する心理教育
2.腰痛に対する認知(考え方、捉え方)を変える
3.運動する。
になります。
さらに、具体的に見ていきます。
1.腰痛に関する心理教育
腰痛がどのようなメカニズムになっているのか、怖れる必要がない、といったことについて、映像を見たり、書籍を読んだりするものです。単に知識、情報を得るということが目的ではなく、それ自体が症状を改善する効果があります。
「NHKスペシャル取材班「脳で治す腰痛 DVDブック」」が最もよくまとまっています。DVDで映像を見ることもできます。
心理的・社会的要因を指摘した先駆けであるサーノ教授の「腰痛は<怒り>である 普及版」(春秋社)も読むだけで改善したというクライアント様は実際に何人もいらっしゃいます。
よろしければ、ぜひ一度ご覧ください。
2.腰痛に対する認知(考え方、捉え方)を変える
認知行動療法とは、症状に対する認知(考え方、捉え方)を変えるものです。腰痛は怖い、治らない、と思っていてはずっとその痛みに振り回されてしまうことになります。できるだけ、客観的に自分の考えを知り、その考えが有益なものかどうかを振り返っていきます。必要があればより効果的な考え方に変えていきます。
大切なのは、治そうとしない。無理をしない、頑張りすぎない。無理にポジティブにしようとしない。ということです。客観的に状態をとらえることができれば、心身も自然と元に戻ろうとする動きが起きていきます。
認知行動療法のためには、ストレスや痛みについての日記を記していきます。出来事、考え方(認知)、行動や感情 といったことを記します。できるだけありのままに記すことが大切です。そして、後で振り返って、それらが有益なものかを見直していきます。
見直しのポイントは自分の本音や感情を抑圧している部分がないかどうか?周囲との衝突を恐れて自分のニーズを回避していないか?ということです。
慢性腰痛の方に共通するのは、痛みを過度に恐れたり、日常でもストレスを我慢しすぎたり、柔軟性を欠いた考え方をしていることです。そうした考えの傾向を見直して、より効果的で合理的で柔軟な考え方へと修正を行っています。
マインドフルネスなども認知の修正やストレスを解消することに効果的です。認知を変えることで徐々に脳の機能が回復していきます。ご自身で取り組んでみてもうまくいかない場合は腰痛の認知行動療法についてくわしい病院や、カウンセラーにサポートしてもらってください。
3.運動する
背中を反らすなどの運動や、ストレッチを無理なく行うことで、腰痛への恐怖を身体レベルからも除いていきます。
背中をそらす運動を2週間行うだけで、6割程度の人が改善したという報告があります。
運動についてもNHKスペシャル取材班「脳で治す腰痛 DVDブック」が参考になります。
また、運動は、背中を反らす、といったことだけではなく、ウォーキング、水泳、スポーツなど、体を動かすことであれば効果があります。どの運動が腰痛に最適なのかはまだ研究段階で分かっていません。そのため、無理なく自分でつづけられるものを選ぶことが大切です。
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(参考)
日本整形外科学会「腰痛診療ガイドライン2012」(南江堂)
菊地臣一「腰痛 :第2版」(医学書院)
NHKスペシャル取材班「脳で治す腰痛 DVDブック」
ジョン E.サーノ「心はなぜ腰痛を選ぶのか―サーノ博士の心身症治療プログラム」(春秋社)
長谷川淳史「腰痛ガイドブック -根拠に基づく治療戦略」(春秋社)
長谷川淳史「腰痛は<怒り>である 普及版」(春秋社)
菊地臣一「腰痛 -なぜ治らないあなたの痛み-(別冊NHKきょうの健康)」
菊地臣一「長引く腰痛は“脳の錯覚”だった -名医が教える最新の腰痛改善・克服法」(朝日新聞社)
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